FF7初履修ぐみ〜考察のような何か編・ユングを添えて〜
《注意》
ガッツリFF7ネタバレ含みます。
なぜかゼノギアスまでネタバレ含みます。
まーーーたこんなエントリ書いて!
ゲームの元ネタ考察遊びシリーズ第三弾です。(※第一弾FE風花雪月(エントリ削除済み)、第二弾ゼノブレイド)
FF7をとりあえず駆け足で一周したので、世界観やモチーフ考えたいなと。
ストーリー重視ゲームはこれが楽しいんだよ!本読むきっかけなの!ゲームが!
今回はユング心理学を多く取り上げてるなと感じたので、人の考察を読んだりする前に自分でストーリーとモチーフを解釈したく、もう議論され尽くされてるんじゃないか…?
…と思いつつもユングに焦点を当てつつ、FF7のボツ企画・ゼノギアスとの比較などを見ていきたいと思います。
というか白状します。
ゼノギアスを下敷きにしたから(追補1:ゼノギアスのストーリーが素案にあっただけで下敷きではありませんでした)絶対そういう要素だらけだろ、という穿った目線でプレイしました。
FF7発売の時代背景的にも哲学的、宗教的、心理学的な要素をふんだんに盛り込む作品(例:新世紀エヴァンゲリオン)がウケる時代だったので、その影響もあるんだろうなと思っています。
学んだ内容のアウトプットを兼ねた個人の解釈なので間違いがありそうです。鵜呑みにしないように!
追記などする場合は色文字で追記していきます。
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本編
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書いてる人
工学部出のただのオタク。
ユングのタイプ分類ではたぶん外向的、好きなタイプはティファとシド。
生命体として描かれる星
さっそく比較になってしまいますが、企画元となったゼノギアスは高度な機械文明かつ、そこに住むヒトの運命も機械にプログラムされています。
さらに魔法の元となるエネルギー(エーテル)も永久機関によって半永久的に産み出されるものとして描かれていました。
個人レベルの自由はそこそこありますが、人類全体の行動はあらかじめ神によって定められた予定調和の世界として、徹頭徹尾、機械によって支配される世界を貫いています。
反面、ゼノギアスの素案がボツになって開発が進められたFF7ですが、ベースは似ていても世界観はかなり差があります。
FF7も高度な機械文明が栄えていますが、星自体は自己修復機能を備えた生命体として描かれています。
教会があるので宗教はあるのでしょうが、宗教の話や神の話は出てきません。ジェノバがかつて神とされていた、みたいな話はあったけど。
また、魔法の元となるエネルギー(精神エネルギー)は有限のものとして描かれています。
FF7においては星自体が生命体、ヒトの運命は星の寿命で尽きることが決まっていますが、世界には支配されていない(神羅には支配されているけど)ため、ヒトは自由な意志に基づいて行動することができます。
これは世界観を決める上で重要な要素です。なぜなら計画通りにキャラクターを動かす必要がないので、どんな行動を取っても世界観的には齟齬が生じないから。
ストーリー中では神羅が世界を牛耳っていますが、結局はヒトとヒトとの戦い、ラストもヒトならざる者ではなく、ヒトの個人的な戦いがクローズアップされているあたり、ミニマムな世界が描かれているなと感じました。
約束の地
セトラとユダヤ教
約束の地といえば現実世界的にはカナンです。
約束の地、祝福を受けることができる、古代種セトラが旅をする民族である、ということを考えれば、セトラとそれにまつわる伝承はユダヤ教をベースにしてるんでしょう。
そもそも約束の地カナンって何なの?
詳細は省きますが、約束の地は神がユダヤ人に与えると約束した、「乳と蜜の流れる」豊穣の地だそうです。
なおカナンは現パレスチナです。
出エジプト記では、エジプト人の奴隷となっていたユダヤ人が、モーセの先導でカナンを目指してエジプトを出ていきます。
カナンにたどり着いたユダヤ人はカナンを征服し、定住をはじめます。
作中、純粋なセトラはエアリスただ一人となってしまいますが、ジェノバと大昔に戦ってはいたものの、奴隷意識も無さそうだし、迫害を受けていた訳でもなさそうでした。
あくまでも旅の民と約束の地というフレーズの元型としてユダヤ人がモチーフなのかな、と。
ちなみに実際のカナンはユダヤ人発祥の地でもない上、飢饉が起こったりと特に作物がよく取れる、というわけでもないそうな。
侵略者ジェノバ
ついでにジェノバも綴りがJenovaなのでJehovah(ヤハウェ:ユダヤ教における唯一神)が元ネタだろうな〜、と思ったり。
キリル文字のн、発音nだもんな。関係ないかな。
ジェノバは空から飛来した厄災とか言われてますが、宇宙からの侵略者とのことでした。最初はセトラと勘違いされていますが。
上述の通り、ユダヤ人は神ヤハウェにカナンはお前らにやるよ〜!と言われたためにカナンを侵略します。
ヤハウェを侵略者の親玉としてみなせば、ジェノバはヤハウェからもじった説もアリでは??などと思いました。
約束の地、どこなの?
作中で「みんなが思ってるものと違う」だとか「そんなものない」だとか言われて、「じゃあどこにあるんだよ…」となりました。
あるの?ないの?はっきりして
セトラが今の星に定住をした(=ユダヤ人がカナンに定着)ということを考えると、星自体が約束の地で良いんではないですかね?
ユングとFF7
FF7のストーリーの大筋は『クラウドの自己実現の過程をプレイヤーが見守る』だと思っています。
世界を救うのは二の次です。本人が作中で言ってるから間違いない。
ゆえに後半になるにつれてどんどん精神分析的側面が強くなっていきますが、ここは心理学者 ユングの影響を強く受けているなと感じました。
以降まとめ。解釈違いぜひカモンです。
前提
自我って何じゃろ?
ユングの精神分析において自我とは、「今気づくことのできる自分」=「意識の中心にいる自分」となります。
意識の中心に自我がある、つまり今ここにいる自分の中心には、自ら考えることができる自分がいることによって意識の安定性を保つことができます。
自己って何じゃろ?
ユングの分析においては意識と無意識、両方を合わせたこころ全体が「自己(わたし)」。
自己には自我も含まれるし、自分では気付かない側面も含まれます。
たとえば意識の上では「自分は優しい人だ(=自我)」と思っているけど、実は気づいていないだけで「優しい人を脅かす悪い奴はみんな死刑になってしまえばいい」など攻撃的な側面も持っている人がいたとします。
そんな良い側面も負の側面も全部ひっくるめて「自己」となります。
また、自分で気づいている面、気づいていない面について考えて、より良い自分になろうとすることを「自己実現」と言います。
クラウドにはなりきれませんでした
当初ソルジャーは「作られた」とか「人形」とか散々な言われようだったので、ジェノバ細胞を培養した試験管ベビーか何かだと思っていました。
違いましたね。ただの細胞移植でした。
自己を実現するため意識的に行動する人は世の中に多いと思います。
しかし、ユングいわく自己実現のために無意識的に行動してしまうということもあり、その無意識の行動は時として一見異常な行動と捉えられてしまうこともあります。
クラウドはより良い自分、ティファに認めてもらえる強い人間になるために、ソルジャーになろうとしますが、それは叶いませんでした。
ニブルヘイムの任務後、魔晄の照射の影響か何かは知りませんが、意識が混濁したまま逃げ帰ってきたクラウドは自分が何者であるか理解できない状態で、偶然ティファに発見されます。
この時に本能のレベルで衝動的に弱い自分を隠そうとしたのでしょう。無意識のうちに自分を守るため、足りないものを補おうとします。
それがクラウドの場合はそれまで一緒に行動していたソルジャーである親友ザックス(ザックスは射殺でいいんだよね?ソース神羅屋敷)の人柄を真似る「取り入れ」だったというわけです。
プレイヤーの目にはこうしたクラウドの行動は異常に映るかもしれませんが、これは衝動的な欲求に対して無意識下で起こる防衛反応の1つなので、全く異常な行動ではありません。
良くも悪くも取り入れを行った時のクラウドの意識は不安定であり、つまるところ自我が弱い状態だったため、自らに取り入れたザックスの人柄を違和感なくすんなりと自分のものとしてしまいます。
当然無意識下で行われているので、本人には全く覚えがない訳です。
覚えてないんですわ
ジェノバの特殊能力として「他人の記憶を読み取り、姿、声、言動を模倣する」というものがありましたが、ジェノバの細胞を埋め込まれた人々も意識混濁のおかげで他人の記憶から盗んだ人格をすんなりと自分のものにできるんでしょうかね。
ジェノバの特殊能力のせいで余計に話がこんがらがるんだよ…
結局本人が気付かぬまま、クラウドとザックスという2人分の人格をベースに、さらにティファから読み取った記憶に対して齟齬が生じないよう行動するため、
シドをして「ちぐはぐ」と言わしめるようなクラウドが出来上がってしまいます。
「俺、クラウドになりきれませんでした」
この言葉には
- 強くてティファに認めてもらえるクラウドにはなれなかった
- 本来の自分がわからなくなってしまった
のどちらかが当てはまるんだろうと思いました。
脱線しますがストーリー全体を通して、星も自らの傷を治すための防御機構が働いてるし、主人公も防衛機制が働いているし、メテオ出現後の神羅は威信を取り戻そうと必死だし、なんとまぁ防衛手段に富んだ作品だろうと思いました。
保身がテーマという訳ではないでしょうに…。
ライフストリーム心療内科ミディール院
さてさて、物事の良い面と悪い面、相反する2つを分離して考えるのではなく、うまく統合してより良いものへ昇華させる、という方法論は古くは哲学者であるヘーゲルが提唱したものです。
数年前に小池都知事の「アウフヘーベン」という発言が流行語にノミネートされましたが、この統合→昇華のプロセスをアウフヘーベンと言います。
閑話休題、ユングの心理療法のアプローチもヘーゲルの方法論をとります。
ユングは意識下と無意識下では相反する2つの性質が内包されるとしています。しかも無意識下には意識上に現れない、自分にとっては嫌な側面が内包されています。
ユングはこの2つの性質を切り離して考えるのではなく、無意識下に潜む自らにとって否定的な面に向き合って認めることで、無数に存在する自己実現の到達点のひとつに至る、としています。
クラウドは弱い自分という側面を無意識の中へと封印し、記憶に基づいて作り上げた「強い自分」が自分の中心であると思い込むことで意識を安定させています。
さらに自我の拠り所である「記憶」が正しいものであるとティファに確認してもらうことで、かろうじて自我を保っていますが、正しい記憶を思い出すにつれて拠り所を失い、自我も失ってしまいます。
そのまま魔晄中毒になった上に、再度ライフストリームに飲み込まれ、そこでティファの助けを借りながら自分の無意識と向き合います。ティファのカウンセリングルームです。
ティファほんといい女
これは記憶の確認、まさに弱い自分と向き合って認めるという作業でした。ゴンガガ村で真実を知るのが怖いと言っていましたが、誰だって自分の否定的な面と向き合うことは怖いことです。
そんな中で記憶をいちいち確認して肯定してくれるティファはほんといい女である. Q.E.D.
この時点でクラウドの自我は「見せかけの強い自分」から「ひねていて、それでいて見栄っ張りなクラウド」となり、自己実現への一歩を踏み出します。
しかし、自己実現への一歩を踏み出したものの自我の確立まではあと一歩、ソルジャー化の措置のおかげでまだ意識の中心にはクラウド以外に余計な奴が存在しています。一体誰だろうね〜。
次の項で話題にしたいと思います。
だんだん何書いてるのか自分でも分からなくなってきました。
セフィロスママ vs 遅れてきた反抗期・クラウド
作中では「父」ということばに比べ、「母」ということばが頻繁に出てきます。
このおっさんは序盤からちょいちょい重要なことを口にする
FF7のストーリーの大筋はクラウドの自我の確立、という話をしたばかりですが、「自我」「母」と来たら立直一発、次に来るワードは『太母』です。ロンです。満貫8000点。
宗教的なワードにも太母はありますが、ここでは心理学用語としてユングが唱えた『太母』について考えていきたいと思います。
太母(グレート・マザー)
太母は基本的には文字通りの母であり、表面上「産み出す、子を包み込む」という母性的なイメージを抱かせるものです。
しかしその行為は子を自らの胎内へと抱え込もうとし、呑み込もうとする死への存在としても認識されます。
ユングはこうした太母の二面性を、人類が普遍的に無意識に抱いているイメージだ、と定義しています。
要は子離れできず子を束縛する母親を想像して頂ければOK、いわゆる毒親です。
母に呑み込まれた子は成長することができず、自我を確立することができません。
そこで多くの子供は青春期に母親の束縛に気づき、太母に立ち向かう、つまり反抗期を迎えることで自我を確立し、自立していきます。
母殺し、などとも言います。物騒な響きですね。
母親のいうことをよく聞く、いわゆる良い子として育ってきた子供や、大人になってから家庭よりも仕事など成果を追い求める人は、この母親殺しの問題に直面することが多いそうです。
創作においては、しばしばドラゴンや神などのラスボスを母とみなし、子(主人公)の成長を阻む母を倒すことで主人公が成長する、という構図はよく見られるものです。
ちなみに全く関係ありませんが、楽天にはこんな商品が陳列されていました。Amazonは品切れ。
名前ワロタ
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太母とセフィロス
ジェノバはリユニオン(再集結)する。
セフィロスは自我が強めなので、母に使役される立場から逆に使役する立場となりますが、母に言われるがままにジェノバと合一を図ります。母親の胎内への回帰です。
こう書くとただの大変なマザコンのようですが、結局のところ星を飲み込まんとする母に既に呑み込まれており、ジェノバの悲願(たぶん)である、星を支配するという目的のためにひたすら動きます。
結構な働き者です、果報息子ですね(そうではない)。
セフィロスはジェノバと一体化したのち、星と一体化して自らが未来を握る神になろうとするわけですが、当然のごとく星となってヒトを包み込むよりも、星の住民であるヒト=自分の子らを呑み込もうとする側面の方が強いですね。
人類は今後死んでライフストリームとなり自身の一部になるのだ、とか言っちゃってたし。
太母とセフィロス・コピー
セフィロスは男ですが、セフィロスもまた太母として君臨します。
セフィロスの細胞を移植されたセフィロス・コピーことソルジャーたちにとっては、セフィロスが母となるわけです。
弱い人間は細胞を移植されたときからとっくに自らを見失い、セフィロスに呑み込まれてしまっています。
「生命体として描かれる星」の項で、この世界のヒトは自由意志に基づいて行動ができる、と述べました。
が、全人類のうちソルジャーたちだけは母であるセフィロスに行動が決定づけられてしまっているため、細胞を移植されたその時から自由意志を否定されています。
よって、クラウドをはじめとしたソルジャーは母の命令に背くことなくリユニオンに向かおうとします。いい子ちゃんです。
クラウドも自らの意志に基づいて行動しているようで、その実セフィロスの思惑通りに行動するわけです。黒マテリアを渡した時はあからさまに「ぐぎぎ…」的な動きをしていましたが…。
自由意志があるように見える世界で、ソルジャーだけは母、ひいては神の決定論に基づく世界観に生きています。
ちなみに強い人間は自分を見失わない、ということで、作中のザックスは強い側の人間として描かれていますが、クラウドの回想に垣間見える社交的な態度からも強さと自我の強固さが伺えます。
生きていればもしかしたらセフィロスに対抗できたのかもしれません…が、あれも取り込みによって得た自我だったらもう目も当てられないなぁ…FF7本編だけでは不明なポイントです。
太母とクラウド
唯一、母の束縛を断ち切ろうとするのがクラウドです。
物語終盤で自らと向き合って自分を見つけ出したクラウドですが、自分が自分として生きていくためには、意識を束縛する母を倒して自我を確立しなければなりません。
大空洞への突入前、クラウドはセフィロスを明確に打ち倒すべき存在と認識し、さらにこれは過去と決別するための自らのための戦いであると明言しています。
クラウドにとってセフィロスとの戦いは反抗期の終わりであり、母であるセフィロスを殺すことで自我を確立しようとするわけです。
なおゼノギアスでは
当然(?)ゼノギアスでも主人公は乖離性人格障害を患っており、やっぱり自分を探しつつ太母殺しをするのですが、こちらはユングの師匠であるフロイトの精神分析をベースに自分探しが進みます。
しかも主人公の人格障害、私がそう考察したのではなく、作中で病名がハッキリと提示されます。
ユングの心理学は女性性(母性)、フロイトの心理学は男性性(父性)に注目して分析が進んで行きます。
FF7は母に着目したストーリーなのでユングの方を採用したのかな〜、なんて思っています。
ゼノギアスの主人公(男)は固定CPであり、アダムとイブがベースになるため、主人公に男性性を持たせています。
ゼノギアス | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイト
すきあらば布教
というわけでなんとなく考察をしてみたので駆け足で2週目やらチョコボ育成やら、時間の許す範囲で確認作業やっていきたいなと思います。
よっしゃ考察サイト巡るぞー!