【ゼノブレイドDE】β版 ゼノブレイドとモナドロジー【ライプニッツ】
考察ってほどでもないですが、当然結末までがっつりネタバレですので、クリア済の方だけ読んでくださいね。
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気持ちいいね、風
ア゛ァッ……(咽び泣き)
この言葉で始まってこの言葉で終わるの、良すぎる。そう思いません?
ゼノブレイドDE、クリアしました。
…みんなアカモートのキズナグラムは埋めたか?アカモートでポラリオ親子とは仲良くなったか?
きっと見つけてやるさ…!(なお終盤クエスト)
3DS版をクリアしているので実質3周目、3周しても飽きないストーリーの良さ、音楽の良さ、さらに解像度が上がったことにより、冒頭のトンボがやたらリアルになってて「ゲッ…」となってしまった……。
個人的にはクエストの目標がつくようになったのは良かった。中央坑道や墓所で迷子になる人は減ったのでは?
装備の見た目がダs…独特なのでファッション装備が選択できるのも良かった。しかしラインだけ終始ステテコ親父になっていたので、シリアスシーン台無し。
で、タイトルにわざわざモナドロジーと入れてるんですが、今まで概論しか読んだことのなかったライプニッツのモナドロジーを、リマスター版プレイを機にちゃんと読んだんですよ。
アフィじゃないよ
Twitterのフォロワーさんにモナドロジーは元ネタだよ!と言った手前、自分が理解してないのはおかしいのでこんなエントリを書いている次第です。
ゼノブレイドの「モナド」と、ライプニッツの「モナド」、照らし合わせてより双方の理解を深めようという記事でございます。
あくまでも個人の読書感想かつ一解釈に過ぎず、哲学としての解釈には誤りがあるかもしれないことを先に述べておきます
書いてる人
ただの理工学部出のオタク。好きなキャラはメリアとポラリオ。
専門教育は受けていないので、解釈にまちがいがある可能性大です。哲学専攻ガチ勢に殴られると泣いてしまうので、間違っている場合は優しく教えてください。
本編
ゼノシリーズ
説明不要かもしれないでしょうが、タイトルに「ゼノ(Xeno)」を冠するゼノシリーズには、
があります。
シリーズごとにシナリオの繋がりは無い(一部設定の繋がりはある)ですが、毎シリーズ哲学の要素をふんだんに設定に取り入れていることで定評があります。ゼノシリーズを遊べばキャラを通してかつての哲学者たちの思想の一端に触れることができます。
ゼノブレイドDEでは17世紀の哲学者で科学者、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの「モナド論」に関する思想を主軸に、物語が展開していきます。
モナド
そもそもモナドって何?
ヴァネア
「モナドは唯一無二のものではない
この世界に生きる者
一人ひとりが持っている光なのだと
どんなにつらい状況でも
生き抜こうとする人の意志の力 命の光――」
ゼノブレイドにおけるモナドは剣を指す……だけではないのは、帝都アグニラータでのこのヴァネアのことばや、物語最後のモナドIIIの「シュルクのモナド」という説明で、なんとなく伺うことはできます。
そもそもモナドって何なのか?ヴァネアの言う通り、なにもシュルクやザンザやメイナスだけが特別にモナドを持っているわけではなく、個々がそれぞれモナドを持っています。
ライプニッツの著作「モナドロジー(モナド論、単子論)」では、モナドを以下のように定義しています。
モナドとは、複合体をつくっている、単一な実体のことである。単一とは、部分がないという意味である。(一)
大変わかりにくいので、ざっくばらんに言ってしまうと、モナドとは精神的な意味での個人のこと。
シュルクやライン、メリアやリキの各々の、意志を含んだ「こころ」の部分とおさえておけばわかりやすいのではないでしょうか。
シュルクのセリフ、「これがモナドの力だ!」は「これが意志の力だ!」と言っているのと同じということです。
モナドと神
ライプニッツは敬虔なキリスト教徒であったため、この宇宙は神が創造したという聖書の説を支持する立場です。
と、神について説明があります。ゼノブレイド世界も巨神と機神から生命が生まれたことになっていますね。
なんでこんな説明があるのかと言えば、時代のせいです。ガリレオ・ガリレイは地動説の支持で宗教裁判にかけられました。神を否定する文献などの発表はタブーとされているので、こういった前置のようなものが必要な時代でした。
神自身による簡潔でとってもわかりやすい説明
でも気づいた。メリアはサモン・アクアで「根源たる大海よ」って言ってる。メリアの中では万物の根源は神ではなく海。まぁそれはいいとして。
前述の通り、我々人間はモナドを有していますが、神もまたモナドであり、ライプニッツは「人間の精神は神の似姿である、精神の中に小さな神を宿している」と述べています。
モナドと性質
モナドとは精神のことなので、定義上モナドには目に見える部分がありません。「上の引用で『単一な実体』って言ってるじゃん、実体って目に見えるんじゃないの?」という感想はいったん脇に置いておきましょう。(†1)
例えば実体が無い、シュルクとラインの2つの精神(モナド)がふよふよと浮いていたとします。目には見えないし、そのままではどちらがどちらのモナドか区別ができません。
そこでモナドが何か行動しようとするのを想像してみます。精神体が行動できるかできないかは別として、悪者が現れたらどうなるだろう?シュルクはまず話を聞くだろうけど、ラインならとりあえず悪者をぶん殴るでしょう。
この2つのモナドにそれぞれ違った行動が現れるように、モナドはそれぞれに性質が備わっており、その性質のおかげで他のモナドと区別ができるようになります。さらにモナドは目には見えませんが、そのモナドが宿る肉体で、その性質を表現します。
ラインが悪党をぶん殴る、という目に見える行為は、ラインのモナドがラインの肉体に、その性質を表現させてるんですね。
各々のモナドの性質は、他のモナドからの干渉では変化しませんが、その性質は自身の意志(欲求)によって変化することがあります。
これをうまく落とし込んだのが、まずひとつに「モナド(剣)のモナドアーツ」、もう一つが「スキルツリー(性格)システム」ではないでしょうか。
(†1)モナドの定義「単一とは、部分がないという意味である」というのは、「これ以上分割ができない」という意味。
機械のパーツは分割していくと本体から外装、歯車、ばね・・・果ては原子に至るまでどこまでも分割ができるけれども、例えばメリアのこころは2分割してもメリア1、メリア2というように分けることができないでしょう?
これが「部分がない」という意味で、モナドが肉体を除いた精神の部分を指している、ということになります。肉体は解剖学的に分割できちゃうからね・・・。
モナド(剣)
「モナドはザンザであり
ザンザはモナドである
両者は不可分なのだ」
モナドの定義などを踏まえて、モナド(剣)について考えてみます。
モナド(剣)のガラス窓には、使用者の「こうしたい」という意志(欲求)が我々のよく知る漢字という形で表れ、モナド自体もその漢字に対応した性質を持ちます。
序盤から持っていた赤いモナド(剣)=ザンザのモナドは、エギルの言う通りザンザ自身、つまりザンザの意志の表れであり、そのためデフォルトの状態では自身に連なる人間(ザンザの肉体は人間だったから?)と神は斬れないようになっています。
逆に「機械を斬る」ことに特化しているというのはザンザの欲求(意志)でしょう。奇しくも初期のシュルクやダンバンの欲求も機神兵を倒すことなので、ザンザの欲求と一致していました。
ラストのシュルクのモナドIIIは、「シュルクのモナド」という説明の通り、シュルクの内から湧き上がる意志(モナド)の表れです。そのため、神をも斬る剣となることができました。
もしラストも使用するものが赤モナドのままであれば、シュルクはザンザのモナドには干渉できないので「神を斬る」という性質を発現させることはできず、神を斬ることはきっとできなかったのでしょう。
また、シュルクのうちにはザンザが居たので、シュルクはザンザの赤モナドの性質を切り替えることができました。
「他のモナドへ干渉して性質を変えることはできない」観点から考えると、ダンバンは機神兵を斬るというデフォルトの性質から他の性質へ切り替えることは出来なかったのではないでしょうか。
スキルツリー
雪山をなめてかかるダンバン
ダンバンの性格が「粋」のとき、ダンバンはスキル「粋の開眼」で装備を脱げば脱ぐほど強くなっていきます。今作はファッション装備があったので常に半裸ということはありませんでしたが。ダンバンの精神にとっては、「粋」の性質の表れは半裸(素早い)なんですね。
というのは冗談として。
ダンバンの性格はダンバン本人(メタ的に言えばプレイヤー)の意志によって、「粋」から「英雄」へと変化させることが出来ます。性格を変えてしまうとその性格のスキル(性質)も変わってしまうので、こうなると脱いでも強くなりません。
さらに会話など他のキャラクターからの干渉によって新しい性格の発現はあっても、ダンバンの性格を「粋」から「英雄」へと変えることが出来ません。
他のモナドからの干渉によって自分のモナドの性質は変化できない、という部分と、誰もがモナドを持っているという部分がうまく落とし込まれているなと思います。考えすぎかもしれないけど。
フィオルンもメイナスのモナドには干渉ができなかった。
「つながり」を重要視するゼノブレイド
ゼノブレイドにしろ、ライプニッツしろモナドと切っても切れないものが「連続性(つながり)」。
ゼノブレイドにもライプニッツの「つながり」に関する思想が余すことなく反映されています。
ライプニッツと連続
高校まで出ると誰しもが微積分を学びますが(多分)、微積分学の発展もライプニッツの功績のひとつです。
微積分もそうですが、ライプニッツは「連続性」を非常に重要視していました。というのも本人の思想の根底が、「全人類の知識をつなげれば未知の真理の発見になる」というもので、科学的研究の連絡や統一を行うためのアカデミーの建設計画を行ったり、微積分記号をはじめ、全人類が共通で使用できる概念を展開したり、「つながり」を生涯通して実践していました。また、本人の交友関係も非常に広く、さまざまな分野の著名人と交友関係にあったそうです。
モナドと過去―現在―未来
唐突ですが、「わたし」について考えたいと思います。
今の「わたし」は一瞬、少し前の状態から自然にできた「わたし」です。
少し前の「わたし」キーボードを打ちながらグミ(HARIBO)をつまんでいましたが、今の「わたし」はなんとなく腹が膨れています。今の「わたし」は何も食べていないので、これから少し後の「わたし」は小腹を空かせます。
連続したものは時間的にもつながりがあり、それはモナドに関しても同様で、モナドもひとコマ前の状態から自然にでてきた結果であり、現在の状態は未来の状態の理由となります。
つながっているものというのは、時間的・空間的に離れていても、現在の状態からこれから起こるであろうことを読み取ることができる、ということです。
ここまでの説明で、現在は未来をすでに含んでいることになるわけですが、これを全て知っている者がいます。そう、全知全能、すべての始まりである神です。
ザンザ
「未来への流れは
必然へと決定付けられる
起こるべくして
起きたことなのだよ
こうなることは必然」
物語でザンザが未来視を使えるというのは神、いわゆるGODだから、で簡単に説明が済ませられます。
シュルクはザンザのモナドを失っても未来視を使うことができました。これはシュルクが神だから、ではなく、旅の中で世界の真理を垣間見て、得られた知識から未来がこの後どうなる、というのをシュルク自身が流れから予測立てている、と考えてあげるのが良い気がします。
アルヴィースもモナドそのものなので未来視を使えます。前世がスパコンなので実は演算してるんではないか説を推したい。ゾハルのモナド……
キズナグラム
まだまだ完成には程遠い
もう見ただけで「つながり」です。やりこみ要素なのでメインストーリーには大きく関わってきませんが、クエストによっては繋がり方が変わってきます。ライプニッツの「つながり」に対する思想がわかりやすく反映されていると思います。
神のいる世界
神と宇宙
終盤に差し掛かってくると、やたら宇宙の描写があります。
ライプニッツより1世紀ほど前の時代にデカルトという哲学者がいます。「考える、ゆえに我あり」の名言を遺した哲学者です。
デカルトは、神が世界の根源であるとした上で、
「この世界の根源である神は、人間に自らの知識(この世界の真理)をいくつか教えようとする。
我々人間はそれを感知することができるため、そこから推論を立てて、神が我々に何を教えようとしたのかを導き出していく」
という分析手法をまとめています。神の存在の是非はどうあれ、科学的な分析手法として今日の科学の発展に大きく貢献しました。
神の存在については
- 神は完全である
- その完全性は無限であり、この世界の根源である
- 無数の可能性の宇宙のうちから選んだ今の宇宙がもっとも善い世界である
という立場に立っています。ここで言う宇宙とは天体的な意味ではなく、「この世界」の意味になります。
この世界では偶然によって出来事が起こるのではなく、全て目的があって出来事が起こっている、その出来事を無数の可能性から決めているのが神である。なので宇宙=神というように捉えることができるというわけです。
ゼノブレイドでは、ザンザが未来視を使うことで、自らの意思どおりに出来事が運ぶようコントロールしていました。そしてザンザの意志が生んだ巨神界は、ザンザの意志そのものの表れ。友人を欲する欲求が巨神界の知的生命体の存在に、しかしながら未来を拒む意志がテレシアの存在に反映されています。
予定調和
物語中に「流れの外」だの「因果律」だの、やたら運命を感じちゃうような、左眼が疼くようなキーワードが何度となく出てきます。
モナドロジーでは全ての根源が神であるという考えを基盤としているため、「この世界に生きるものは、すべからく神の定めたプログラムに従うようつくられている。このプログラムからはずれないよう、神は個々のモナドに制限をかけている」と説明しています。
「神の定めたプログラム」とは、全てが神を目指してプログラムどおりに動いている状態。これを「予定調和」と呼びます。
モナドに制限をかけているのは、モナドと神の部分で述べたように、我々人間のモナドは神の似姿なので、モナドは制限をかけないと全員が全員神になってしまう可能性があるため。神は一つで良いので、それを防ぐために神がある程度モナドにできることを制限している、らしいです。
ゼノブレイドでいえば、全ての生命が巨神界に還ることが予定調和。ハイエンターがテレシアに変化するのも予定調和。千年周期でリセットをかけるのも予定調和。人が神の意志に逆らわないのも予定調和。
この予定調和を覆されないよう、ザンザも自らのモナド(剣)に枷をかけていました。顔つきに対抗するために外しちゃいましたけど。
今見るとすごい説明だなコレ
シュルクが科学者(研究者)である意味
ストーリーの最後にシュルクは神を斬り、神のいない世界を作り上げます。
シュルクは防衛隊所属とは言え研究者なので、初回プレイ時にはなんとなくひ弱なイメージがどうも拭いきれませんでした。
中世以前、天動説が物語っているように、神はこの地上におわす存在でした。しかし、地動説の発表やガリレオの力学実験など科学の進歩によって、神の存在証明が難しくなっていきます。さらに科学が発展していくと神の存在はどんどん希薄になっていき、それまで権威を持っていた教会も勢力を失っていきます。
当時の科学者は、もともと神の存在を証明するために科学研究を行ってきていました(元来、哲学というのは、神学、物理学、天文学などひっくるめた、万物に対する知を探求する学問を指します。なので哲学者には科学者が多いのです)。
その功績が皮肉にも神の作りたもうた世界の普遍的な因果関係(力学的な理論など)を解き明かしてしまい、神の絶対的な力を失わせてしまいました。
科学が進歩すれば、未来を予測できるのは科学者です。力学の発達により、物体の運動法則から物体の振る舞いが予測できます。気象学の発達により、先の天気を予測できます。
演算を用いて起こりうる事象を予測できるようになればもはや神による可能性の決定などは必要がないく、過去も未来も知り尽くす全知全能の神を舞台の外へ追いやるのは科学となります。
ゆえにシュルクが科学者であるという設定は、単なるライプニッツリスペクトかもしれませんが、ちゃんと神を倒すための意味も与えられていると考えられます。
内省
自己を見つめ省みる行為を「内省」と呼びます。物語を通して、シュルクは自分のモナドを自己のうちに見つけることができます。
アルヴィースに言われたこのことばは、そっくりそのままエギルへと伝えられる
シュルクたちは最初のうちは機神憎し!絶対倒す!という意志のもとに行動します。
ここでライプニッツの思想に跳びますが、例えば犬を棒で叩くと、犬は棒を見ると「叩かれる」イメージを記憶しているので逃げるようになります。ライプニッツは人間もこういった単なるイメージによる行動をとっている間はけものと同じと説いています。
物語序盤から顔つきの真実を知るまでの間、シュルクたちはけものの段階に居ます。
ですが、人間はけものと違って、真理を認識することができ、理性や知識を身に着け、自己を顧みて自己を知り、さらに神を知るところまで高めることが出来るとライプニッツは説きます。
シュルクたちは冒険の中でこの世界の真実をどんどん知り、フェイスとなったフィオルンとの再会や機界人と出会いのうちに、己の行動の理由を見つめなおし、さらには自分のモナド(=自己のうちに宿る神)を見つけます。
ゼノブレイドのメインストーリーは神を倒して新しい世界を作るというというものですが、その道程でそれぞれのキャラクターが内省している描写がしっかりと確認できます。
ちなみに問答はかのソクラテスが実践していた真理を探求するために有効な手段です。
新しい、よりよい世界
我々のモナドには小さな神が宿っていると述べましたが、ライプニッツは「モナドロジー」で、「すべてのモナドがつながりを持てば神の国(道徳的な世という意味)がつくられる」と述べています。我々の持つ極小な神をつなげて統合すれば極大な神になる、というのがその根拠ですが、要は小さな善い行いを集めていけば、全体として善い行いをする道徳的な集団が出来上がるといった意味合いです。
シュルクの考えるよりよい世界とは、「神が決めた未来ではなく、一人一人が目指す未来」。物語はシュルクとフィオルンのこの会話で締めくくられます。
「僕さ いつか合ってみたいと思うんだ この広い世界に生きる人々と」
「私も―― 会えるよね きっと」
「うん 会えるさ 未来を目指して歩いていけば 必ず」
ライプニッツがそうしていたように、シュルクたちもより善い世界を目指し、この世界に生きるたくさんのモナドとのつながりを持とうとする意志を感じさせたところで、物語は終わります。
おわり
ゼノブレイドは道徳的に王道を往くストーリーなので、受け取り方によっては「青臭いストーリー」と感じるかもしれません。ですが、物語にちりばめられた哲学的要素を見つけていけば単なるRPGではなく、もっと違ったストーリーの読み方ができるので、幅広い年代で楽しめる作品だと思います。
ちなみに多元宇宙(可能性のある宇宙がいくつも存在する世界)をテーマにした作品はだいたいライプニッツと絡めて考察すると捗るんじゃないかと思います。
日本人は特定の宗教に属さない人が多いので、哲学と結び付けた時に神と言われてもピンと来ない方が殆どだと思いますが、ストーリーの根底は「どのように生きるか」という問いかけに対し、シュルクたちが自分たちの意志で決定していく部分にあると考えています。
ライプニッツは全然かみ砕けてないし、説明が中々難しいし、そもそも解釈が間違っている可能性が否定できず、半分も伝わっていないかもしれませんが、少しでもゼノブレイドを通じてライプニッツ、ひいては哲学に興味を持ち、ゲームからも学ぶことはたくさんあるんだと感じていただければ、と思います。
参考文献
- 清水富雄・武田篤司・飯塚勝久(2013) 『中公クラシックスW41 ライプニッツ モナドロジー 形而上学叙説』 (電子版) 中央公論新社
- 野田又夫・井上庄七・水野和久・神野慧一郎(2001)『中公クラシックスW9 デカルト 方法序説』 中央公論新社
- 池内了(2019) 『物理学と神』 講談社
- 小寺聡(2011) 『もう一度読む山川倫理』 山川出版社
- 稲田義行(2004) 『これならわかる倫理』 山川出版社